主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。(詩篇23篇1節)
「神様、私は、この御言葉がアーメンといえません。
『主は私の羊飼い』ということは認めます。
でも、私には、乏しいと思えることが、生活の中でたくさんあるのです。」
そう祈り始めてからずいぶんたつ。
私は、普通の人とと比べると、アンバランスな人間だ。
人と比べて、できないこともたくさんある。
失敗も多い。
社会生活を送る中で、自分の意に反してうまいくいかないことがあまりに多い。
だから、「私には乏しいこと…ばかり」と思ってしまうのだ。
つい最近まで、仕事上の失敗の処理についてずいぶん悩んでいた。
ようやく、解決のめどがついて、ふと思ったことがある。
結局、神様に祈って、解決に向けて歩み出したとき、
その問題は解けていた。
でも、
私は、問題が起こると、その問題を自分で抱え込んでしまう。
問題から目をそらし、先送りする傾向がある。
だから、自分で解決を難しくしていただけではないか。
問題がおこったとき、すぐに、神様の胸に飛び込んで。
イエス様助けて下さいと叫び、イエス様に頼っていくのが
羊の姿。
羊になりきっていくとき、
イエス様は解決を与えて下さい。
必要なものを与えて下さる。
自分で自分の問題をなんともできないと思っていたら
失敗のゆげが立っているそのときに、
羊飼いなるイエス様のもとにいくしかない。
私は自分は乏しいといいながら、自分でなんとかしようとしていた。
私は傲慢だったのだ。
自分の乏しさを心から認め、羊になりきっていく。
羊飼いなるイエス様に祈り、頼っていく。
そのとき、
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」(詩篇23篇1節)
が私の御言葉になる。私はそう信じた。