2012年3月10日土曜日

私には、乏しいこと…ばかり(詩篇23篇1節)


主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。(詩篇23篇1節)

「神様、私は、この御言葉がアーメンといえません。
『主は私の羊飼い』ということは認めます。
でも、私には、乏しいと思えることが、生活の中でたくさんあるのです。」

そう祈り始めてからずいぶんたつ。
私は、普通の人とと比べると、アンバランスな人間だ。
人と比べて、できないこともたくさんある。
失敗も多い。
社会生活を送る中で、自分の意に反してうまいくいかないことがあまりに多い。
だから、「私には乏しいこと…ばかり」と思ってしまうのだ。

つい最近まで、仕事上の失敗の処理についてずいぶん悩んでいた。
ようやく、解決のめどがついて、ふと思ったことがある。

結局、神様に祈って、解決に向けて歩み出したとき、
その問題は解けていた。

でも、
私は、問題が起こると、その問題を自分で抱え込んでしまう。
問題から目をそらし、先送りする傾向がある。
だから、自分で解決を難しくしていただけではないか。

問題がおこったとき、すぐに、神様の胸に飛び込んで。
イエス様助けて下さいと叫び、イエス様に頼っていくのが
羊の姿。

羊になりきっていくとき、
イエス様は解決を与えて下さい。
必要なものを与えて下さる。

自分で自分の問題をなんともできないと思っていたら
失敗のゆげが立っているそのときに、
羊飼いなるイエス様のもとにいくしかない。

私は自分は乏しいといいながら、自分でなんとかしようとしていた。
私は傲慢だったのだ。

自分の乏しさを心から認め、羊になりきっていく。
羊飼いなるイエス様に祈り、頼っていく。
そのとき、
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」(詩篇23篇1節)
が私の御言葉になる。私はそう信じた。