2012年6月11日月曜日

二人の祈りは神様に期待して~でも相手を尊んで~(マタイ18章19節)

まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。                                               (マタイ18章19節)

大学時代KGK(キリスト者学生会)に所属していた。
昼休みにはDPMといってクリスチャンが一つの部屋に集まって祈り合っていた。
そのサークルに3年生のI先輩がいた。

私は、1年生。信仰に入ったばかりで弱々しく自分に自信がない頃だった。
ところが、そのI先輩とペアになった私に、
「私には、○○、○○という課題があるので祈ってちょうだい」
と言った。私はびっくりした。
私みたいな弱々しい者が先輩のために祈っていいのですか。
と心の中で思った。

その内容は忘れてしまった。
今思えば深刻な問題では無かったと思う。
でも、I先輩は自分の弱さを率直に語っていた。
よほど親しい友達でも話さないかもしれない、と思うような課題だった。

祈りながら、自分がとても大切にされているように感じた。
私は、私に「祈って」といったその先輩を心から尊敬した。
そして、その後、私の弱さや課題をその先輩に話し祈ってもらうようになった。
I先輩は私のあこがれの、大好きな先輩になった。

後で、分かったことだが、そのグループでは、顧問のM先生に、
「兄弟姉妹に祈ってもらうときは、祈ってもらう相手に期待してはいけません。
相手が祈りの中で向かう神様だけに期待するのです。」
と指導を受けていた。
I先輩は、その指導を忠実に実行していた。
だから、相手の能力や信仰の強さに関係なく、
自分の祈りの課題を私に率直に話すことができたのだ。
(もちろん、負えない重荷を負わせるようなことはしなかった)
でも、ともに、神様に向かって祈ってくれる友として、
I先輩が私を尊んでくださったことは確かだと思う。

その先輩との関係は大学を卒業して30年たつ今も続いている。
東日本大震災では、心配して電話やメールをくれた。
今も私のために祈ってくれている。

自分の弱さや課題を出し合い、祈り合うことが
神様にあるI先輩とのつながりを作っていったのだと思う。

二人の祈りは神様に期待する。そして、一緒に祈る相手を尊ぶことが大切。
その祈りを神様は喜んで下さるのだと思う。