この偽善者とはだれのことだろう。
12章54節には、「群衆にもこう言われた。」
とある。だから、群衆に向かって語られたことが分かる。
群衆は、びっくりしただろう。突然自分にふられたのだから。
そして、突然偽善者呼ばわりされ、
どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。(56節)
また、なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか。(57節)
とまで言われたのだから。
群衆は、すでにイエス様の光に照らされていた。
自分が罪人であり、救われなければ滅びていくしかないことを
うすうす感じていた。
でも、そんな自分の真実の姿を見つめようとしない。
イエス様のもとに自分を投げ出し、委ねることはできない。
自分の心のかわきに正直になれない。
本当は救いがほしいのに。
何かを分かっているふりをしている。
自分は正しい判断をしているふりをしている。
「自分は優れた者であると思いたい。見られたい」
そして、自分を「群衆」という位置に置いている。
自分を偽っている。
自分を偽っている。
そんな、群衆にイエス様は、偽善者と呼びかけられた。
自分に正直になれ。
自分の本当の姿をみつめよ。
裸になって、ありのままの姿で
私に頼れ。
あなたは、いくら自分を偽っていても、
最後には裁かれるものになるのだから。
今は、恵みのとき、救いの時だよ。
正しい判断、それは、私によって救いを得ることだよ。
これは、イエス様の愛のメッセージだった。
私は、群衆の中に私自身がいることを発見する。
イエス様は、群衆の中、偽善者の中に紛れ込んでいる私に、
愛をもって語られているのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿