2012年2月5日日曜日

私をきよめてください。(ヨハネ2章12節~22節)~イエスの宮きよめ


ヨハネ2章12節~22節は、イエス様の宮きよめの記事である。


柔和でおだやかな姿のイエス様が、この箇所では、

なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。(2章15~16節)

怒りに燃え切った姿になる。
このイエス様の姿をどう受け取ったらよいのか。
いろいろな説があるのだと思う。

私は、丹羽鋹之先生講解の中の「祈りの言葉」が強く心にひびいている。
まだ、本にはなっていないので、私の手元にある原稿から抜粋する。

「私の中に不純なものが入り込んでいるならば、どうかあなたがご覧下さい。そしていっさい隅々まで点検して、不純なものわが内に入り込んでいればこれを叩き出して下さい。あなたの御血潮をもって今日も隅々まで潔めて下さい。」

丹羽先生は、エルサレムの神殿の有様と、、「いつの間にか自分の欲が自分の自我が入り込んで、それを遂行する場所」になっている私たち自身の有様は同じだという。

そして、「宮をきよめたように、イエス様、私という神の宮をきよめてください。」それが私たちの祈りだと語っておられるのだ。

最初のこのメッセージを聞いたとき、私は衝撃を受けた。エルサレムの神殿の有様と自分の有様が同じだとは思っていなかったからだ。

でも、クリスチャンとして歩めば歩むほど、
丹羽先生の祈りは私の心にひびいてくる。

「なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし…」
のイエス様が私にはなくてはならない存在なのだ。
と思えてくる。





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