2012年2月4日土曜日

「罪を犯してはなりません」と語られたイエス様(ヨハネ8章11節)


「今からは決して罪を犯してはなりません。」ヨハネ8章11節


姦淫の女の記事で、ただ一人姦淫の女を裁くことのできるイエス様は、
「わたしもあなたを罪に定めない。」
とおっしゃった。
「イエス様は女のこの罪に対してなんと寛容か」と感じる人もいるかもしれない。

しかし、私は、イエス様はなんて厳しいお方なのかと思い、この御言葉について黙想した。
イエス様は続けて、
「今からは決して罪を犯してはなりません。」
とおっしゃっているからだ。

この女に、
「今からは決して罪を犯してはなりません。」
はとても厳しい言葉だ。

この女は、これまで、罪の中に生きてきた。
せっかく罪に定められなかったのに、再び罪の中に陥る可能性は十分にある。
この後、姦淫という罪の鎖から、自らを解放させることができるのか。
イエス様の言葉に、女は困りはてはしなかったのか。

イエス様は、私たちが罪を犯すことで、自分で自分を不幸の中に入り込んでいくことを
よくご存じだった。罪の悲惨さ、悲しさをよくご存じだった。
だから、イエス様は、深いあわれみをもって
「今からは決して罪を犯してはなりません。」
と語られたのだと思う。

それにしても、イエス様の言葉通りに生きるのは難しい。


黙想の中で、
イエス様の言葉、イエス様の愛とあわれみを本当に受け取ったこの婦人は、
この後、イエス様にしがみついて生きていったのではないか。
と思うようになった。

「私は罪を犯す者です。」

「犯したくなくても犯してしまうのです。」

「どうかあわれんでください。」

と、祈りながら、イエス様から離れないで、しがみついて、生きていったのではないか。

そうやって生きていくとき、イエス様の命がこの婦人を生かしてくださった。
イエス様が罪から解放してくださった。イエスの言葉がなっていった。

イエス様の2つの言葉、
「わたしもあなたを罪に定めない。」
「今からは決して罪を犯してはなりません。」
は、ともに、

「私の十字架の愛を受け取って歩みなさい」

という愛の言葉だったのだ。














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