2012年2月12日日曜日

ダビデの悔い改め②(Ⅰサムエル12章15節~23節)


ダビデは言った。「子どもがまだ生きている時に私が断食をして泣いたのは、もしかすると、【主】が私をあわれみ、子どもが生きるかもしれない、と思ったからだ。しかし今、子どもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。(Ⅰサムエル12章22節~23節)


この箇所で、私は、学生時代、ダビデのすばらしい信仰の姿について学んだ。

第一は、「ダビデは、自らの罪の結果をそのまま受け取った」ということ。
悔い改めによって罪は許された。けれども、その罪の結果を突きつけられたとき、ダビデは、神様が為されたことは当然のこと受け止めた。神様の前に心からへりくだっている姿だ。

第二は、「ダビデは、神様のあわれみを信じて幼子のように祈った」ということ。
ダビデは、「罪の結果」であるで「子どもの死」をとどめていただくように祈った。断食もした。ダビデは、狂ったように神様に祈った。それは、神様を心から信じているからできることだ。

第三は、「ダビデは、自分の祈りが聞かれないという事実を率直に受け取った」ということ。
子どもの死を知ったとき、すぐに立ち上がるダビデの姿はさわやかだった。神様のあわれみを最後まで願ったが、聞かれなかったときはその事実を率直に受けとった。神様を心から信頼しているからこそできることだ。


ダビデの信仰の姿は、悔い改めた者が、その後、どのように歩めばよいかを教えて下さっている。
罪を告白し、幼子のように祈り、神様がなさることををそのまま受け取る。
その根底には、神様への心からの信頼がある。


私たちは、失敗をした後の対応で、失敗をしたことより大きな失敗をする。
それだけに、ダビデの悔い改め①②のダビデの姿は、私たちの模範だ。

大学を卒業してから、たくさんの失敗をしてきた私は、以前よりも深く思わされている。









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