2013年2月23日土曜日

どんな気持ちで香油を ルカ7章37節~38節


すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油の入った石膏のつぼを持って来て、
泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。(ルカによる福音書7章37節~38節)


イエス様に高価な香油を塗った女。いったいどんな気持ちだったのだろう。
想像してみた。


心は重く暗かった。
表面は客を楽しませた。
肉的に情欲的に喜ばせた。
でも、私は罪を犯している。
私は罪の中にいる。
その思いが私を苦しめる。
でも、私のことは誰にもわかってもらえない。
罪悪感、さびしさ、悲しい気持ちでいっぱいだった。

イエス様なら私を分かってくれる。
出来ることならイエス様の前に行って、憐れみ深いイエス様に取りすがって、
この暗い私の罪のためにおもいっきり泣きたい。
このお方ならきっと聞いてくださる。そうにちがいない。

イエスがパリサイ人の家で食事をしていることを聞いた。
いてもたってもいられず着のみ着のままそのままで家を飛び出して
パリサイ人の家に入っていった。

そこにイエス様の姿が見えた。
憐れみ深いイエス様の姿を見ると、涙がこみ上げて滝のように溢れて止めることができない。
イエスの足下に立ったときには涙は雨のように流れてイエスの足下をぬらした。

ふくものを持っていなかったので思わず私の髪の毛をといた。
恥も忘れてその髪の毛を足ででぬぐった。

そのとき、イエス様の愛にふれた。イエス様のゆるしに気付いた。
このお方は、すべてをわかっている。
そして、私を受け入れて下さっている。
すべてを許して下さっていいる。
私を愛して下さっている。
罪のために流していた涙が、
喜びと感謝と言いようもない大きな感動の涙と変わり、
溢れてきた。

これまで大切にしていた高級な香油を、
愛するイエス様のためにささげたい。
私にとって、何よりも大切なのは、もはや香油ではない。
イエス様だ。
このお方にすべてをささげたい。
感謝とイエス様に対する敬愛の気持ちをもって
香油をイエス様に塗った。



女の心を想像して、私は、
私も、この女と心一つになりたい。
そう思った。

※ 主に、丹羽鋹之「ルカによる福音書4」を参考にした。



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