愛を追い求めなさい(Ⅰコリント14:1)
という御言葉について説明してきた。
ここまでくると、問いが生まれる。
それでは、日常的な愛はいらないのか。
配慮
傾聴
愛の言葉かけ
贈り物
日常的に、相手の人を大切にする行為は確かにある。
その中には、技術的なこともあり、努力によって習得できることがある。
愛を追い求めなさい(Ⅰコリント14:1)という御言葉と日常的な愛、配慮、努力して習得する技術との関係はどうなのだろう。
私は、若い頃、「あなたは配慮が足りない」
と恩師(クリスチャン)からよくおしかりをいただいた。
そこで、私はここでいう「相手の人を大切にするための技術」について学んできた。
・来談者中心療法
・短期療法特に解決思考ブリーフセラピー
・認知行動療法
・内発的動機付けに関する研究
・統合失調症、鬱病や人格障がいについて
・発達障がいについて
これらの知識や技術は、私の日常的な人とのかかわりを大きく変えた。私は、弱さをもった人によりそい、その人にフィットしたかかわりを模索するようになった。そして、「ほんの小さなほほえみ」や「感謝の一言」の大切さを一層実感した。
人のために技術や知識を用いていくことは当然ある。
それは、日常の中のささやかな配慮となって現れる。
しかし、その知識や技術をもっている自分を、
神様の前に10点、20点…としていく価値あるものと認識するとことから、
私たちの間違いが始まる。
多く見られる例、それは、「人を愛する技術を持たない人を裁く」姿が現れることだ。
あの人は配慮が足りない。あれでは人を傷つける。
裁きの心がふつふつとわいてくる。
本気になって人を愛する努力(技術の習得)をした人ほど。
その傾向がある。
そのとき、改めて、「愛を追い求めなさい」(Ⅰコリント14:1)が迫ってくる。
自分には愛の無いことを深く思い、神様に求めていくか。それとも、自分を価値づけて人に要求するかが問われる。
ここで、失敗してしまう人もいかに多いことか。
愛を追い求めなさい(Ⅰコリント14:1)とは、愛する努力をした人(技術の習得)にも語られる言葉なのだ。
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