愛を追い求めなさい(Ⅰコリント14:1)(0)(1)で、愛を追い求めることはどのようなことか書いた。
ところが、この御言葉について間違った思い込みをしているクリスチャンがいる。
1 自分の愛を10点、20点、30点とあげようとする。
自分から愛が出てくるという勘違いしている。
すると、人は無理をする。そして、無理した分のゆがみがどこかに出てくる。
2 自分の思い(裁き、ねたみ…)を神様ではなく人にぶつける。
これは間違いなく、とんでもないことになる。
ところが、このような間違いをするクリスチャンが結構いる。
3 愛の実行を人に要求する。
クリスチャンホームで親から子になされることがある。
信者が牧師に要求すること、その逆もある。
この思い込みに従って行動すると必ず失敗する。
過ちの根本は、「自分からは愛がでない」ことを心から認められないということだ。
自分に全く愛がない、つまり0点である自分をはっきりと認めること。
すると、
自分は10点、20点、30点と点をあげることはできない。
自分はいっさいを神様のみに求めるしかない。
自分はとても人に愛を要求することが出来ない。
ということが分かる。
ところが、人は、自分は罪人だといいながら、
どこかで、自分は、何かができる存在だと思っている。
そして、自分に、人に愛を要求していく。
人はなんて誤りやすい罪人なのだろうか。
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